幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

タイムスリップしないかなぁ〜。

明日から、この地方も雪になるかも知れません。


雪 雪かぁ。雪で思い出すのは息子が生まれた翌日のこと。


あなたは夜中に生まれた。23時07分、その日では3人目の赤ちゃん。総合病院の産婦人科で産んだが、産科病棟は満床にて、私は整形外科の病棟になった。


初めての出産で、産後のT字体の巻き方が上手くいかず濡らしてしまった。公衆電話から母に連絡したら、「雪で行けない」と言われた。着替えはあるので何とかなったが、寂しかったのを覚えている。


そのあと、おばあちゃん(私からは姑)が来て「寅男さんか寅子さんか楽しみに来たら寅男さんやった。次は女の子ね」って言われたのよ。


寅男?寅子?

あぁ〜、寅年だからか。

他に言い方ないかなぁ、てか、私、12時間前に初孫様を産んだのですが!って腹が立った。そのあと、チヌのお吸い物を飲んだら、母乳が良くでるから持ってくるって言い出して、断るのに大変だった。そうじゃなくても、田舎の仕出し屋のお重を持って来て、食べろ食べろと言われたんだ。


あぁ、今でも忘れない、忘れられない。


あのあとすぐに新生児室の前に行き、「◯◯くん(元旦那)に、ソックリだ」と、騒いだのよ。私は少しずつ離れながら、ナースステーションの窓の外を眺めたんだ。

そしたら珍しく吹雪いてたのよね。

「雪かぁ、珍しいなぁ。真っ白で綺麗だなぁ。帰るときは寒くないようにしようね」って、呟いたなぁ。


1週間後の退院時、私が抱かず元旦那が抱いて帰ったんだ。落としたらいけないからって。お前は支払いとかしないといかんやろって。おばあちゃんが布団屋で作った、昔のおくるみにも昼寝にも使える小さな布団で包んで帰ろうとしたから、それだけは阻止したけどね。


まだまだ続きはあるんだけど、雪が降るってなると、とにかく息子が生まれた翌日からのおばあちゃんの嫌がらせとしか思えない言動が浮かぶんだ。プラス、元旦那の嫌味とか。


やっぱり、母さんは思うよ。母さんの意向とか言って居なくなったから、本当は母さんが嫌いだったんだろうなと思うけど、母さんが家を出る時に父さんやおばあちゃん、おじいちゃんも生きてたから、この3人と遠慮なく喧嘩して連れ出せば良かったとね。


明日、雪が降ったら、あなたが生まれた翌日にタイムスリップしないかなぁ〜ってね。

優しさとは。

月曜から仕事復帰するために出勤した。


本当は行きたくなかった。今の職場は12月から働き出した。入りたてで、こんな事を起こしてしまった。不幸は突然やってくるから、自分が逆の立場でも相手に「迷惑を掛けやがって」などとは思わない。でも、掛けてしまったと思う者からは、そういう気持ちにはなれない。


しかし、生きてる以上逃げれない。逃げてはいけない。


とにかく普通に行こう。

いや、普通って何?どれが普通?

頭の中がグチャグチャになりながら、大きく息を吸い込み「お疲れ様です。」とドアを開けた。


想像通り、同僚達が「あっ…」って雰囲気を出している。そうでしょうね。


私は頭を下げながら、「ご迷惑をお掛けしました。また、息子へありがとうございました。」と言いながら課長の席に向かう。


「大変やったね。大丈夫?」と言ってくださる方や、黙って頭を下げ返してくださる方など様々。課長や上司は、「大丈夫?」と優しい表情で言って下さった。私は涙を堪え「大丈夫です。ありがとうございます。」と返し月曜の準備を始めた。それからは、息子の亡くなる前の状態。みんな何もなかったように仕事の話をしてくれる。表情だけは優しさ溢れて、私に無言で気遣ってくれている。


私は改めて職場に、人に恵まれたと思った。

これが前の職場ならば、絶対に無理だったと言える。葬儀に心配して駆け付けたり、花を送ってくれた同僚もいたので全員とは言わないが、ここまで全員が入りたての私に対して気遣ってくれるとは思っていなかった。さりげない人の優しさに、息子のおかげで触れることが出来た。


何て声掛ければ良いか、あまり分からない私に対してどうすれば良いか、ましてや息子が自死。私が逆の立場ならば接し方に悩んだだろう。


下衆な考えをしたら、中には困ってる人もいると思う。これからの個々と話した時に、何気に何かを感じてしまうかも知れない。

でも、旦那に話したら「職場に恵まれたね。」言われた。


だから、私は素直に有難く感じよう。

そして私も人に優しくなりたい。


「だったら、俺にも優しくしてや」

そう言いたい?息子よ。

じゃあ母さんは言い返すよ。


「誰が何て言っても、私はあなたを甘えさせ過ぎたし、好き勝手させたよ。あなたが嫌な顔をするから言わなかった言葉は山ほどあるよ。自分だけが苦しいとは言わせないよ。」とね。

自分の常識、他人の非常識

息子が生前、私に話した格言とでも言うべき言葉に、「自分の常識、他人の非常識」がある。


よく子供が「◯◯くんちは、買ってもらうやと」「◯◯ちゃんは、旅行に行くんやと」など、とにかく自分が欲しいものがあると他の家を出してはせがむ。その度に、「だったら、◯◯さんちの子供になれば」と言っていた。


こう言う話は、どこの家庭でもあると思う。

子供が成長するにあたり、少しずつ大人の会話ができ始める。まだまだ子供は中学生なので、本当の大人の会話ではないかも知れないが、ある程度は出来る。


どんな話の時に出たのかは定かではないが、多分私が職場で責任者になり、スタッフのシフトをまとめる話をした時に出たと思う。みんな年末年始は休みたい。私の仕事は、その時は訪問介護なので休みはない。介護を必要としている方には生活するために欠かせないサービスなのだ。だがスタッフ達は「実家に帰るので1週間休みます」「孫が来るから休みたい」と希望を出す。

それも当然の話。誰だって休みたい。だけど、みんなでカバーしなければ休めないし、サービスも提供出来ない。利用者の方でも「正月に掃除してなくても死なないから、家族のために休んでね」と言ってくださる方も入れば「正月でも掃除してもらわないかん」と言われる方もいる。これも当然の話だ。


その話をしながら「みんなが言うことは分かるけど、常識的に考えようやなぁ。みんな休みたいやん。だったら、休んでも構わないから正月明けには休んでない人の代わりに働け!って母さんは思うんよね。常勤が働けばいいって考えが分からん。パートならば好き勝手に働いて構わないんやろか?母さんも一応パートやけど責任者になってしまったからにはパートも常勤も関係ないと思うんやけど。」と話した。


「母さん。自分の常識、他人の非常識よ。自分の考えが必ず正しい訳でなく、受け取る人からは母さんの考えは非常識なんよ。」

「そうかぁ。じゃあ、自分がこれは常識やろ!と思っても当てはまらないんや。じゃあ、常識って何やろうなぁ。」

「それは分からんなぁ。母さんがよく言うやん。他所は他所、うちはうち。みんな考えが違うんよ。」「確かにな。どうせダメなら揉めるんが面倒やけん、母さん自分が黙ってする」「俺も」「要らんとこが似たよね。先々読みすぎて、もういいやって言わずに終わるやろ」「そうそう!」


改めて思い出した。息子は誰よりも先々読みすぎて抱え込む。頭の中では、たくさん言葉を吐いていても口からは出さない。不登校になった時も、歯痒さからメガネをへし折ったっけ。机の引き出しに残ってたよ、整理したら。


全て何が常識で、何が非常識かは分からない。

でもね、やはりある程度の決まり事はあるんだよ。耳にするでしょ、一般常識。


その中にはあると思うよ。自分で死んではダメだと。


でも、苦しんだあなたには「非常識」になるんでしょうけどね。