幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

幻の卒業式

仕事の途中、息子が通った通信制がある高校の傍を通ると、スーツ姿の若者がたくさんいた。


信号待ちしていた2人組の女の子を見たら、先生宛のメッセージ付きの花束を抱えていた。



卒業式だ。

今日が通信制の卒業式なんだ。


信号が青になり、私は仕事先に向かった。

1時間程で現場が終わり、また高校前を通ると、式典が終わったのか校門前に人が集まっていた。


スーツ姿の保護者らしき人も居たから、間違いないだろう。やっぱり卒業式だったんだ。


息子が生きていても、単位が足りてないから卒業式は無理だったんだけど。


生きていても幻の卒業式。

でも、生きていたら来年は迎えられた、いやいつかは迎えられた卒業式。


息子の卒業式は、永遠に幻となった。


桜が咲き始めたが哀しく見えるのは何故?

息子の哀しみのせいか?

私の哀しみのせいか?


今年の桜は目にしみる。

ささくれ

右手中指に、ささくれが出来た。


むちゃくちゃ久しぶりに、ささくれが出来た。


子供の頃に、ささくれが出来るのは親不孝って言われた気がする。


親不孝なのか?私。


そう考えたら…親不孝かも。離婚はするし、子供が亡くなる、親からしたら孫が亡くなる訳で、しかも私の意向なんて遺して亡くなるし。


でも、そんなことを考えてたら、息子の指にもささくれがよく出来てた。

ならば息子も親不孝なのか?


親より先に亡くなったから、親不孝かもしれない。でも、本当は違う。単なる迷信だ。


離婚して、食生活が偏ったから出来てしまったんだ。私が、ささくれの原因だ。


息子がよく、「母さん、血が出たからカットバンちょうだい。」と言ってたのを思い出した。


母さんも今、兄ちゃんに出来てた中指にあるささくれが痛いです。こんな痛みを感じてたんやね。


最近、息子を思い出す時間が少なかった。どうしても新しい職場、仕事に翻弄されていたから。


久しぶりのささくれが、痛みとともに息子を思い出し、感じさせてくれた。


出来ない方が良いが、たまの「ささくれ」も

いいもんだな。

今日も生きているんです。

毎日、息子に話しかけても返事は当然ないです。


会ったら飛び跳ねて喜んでることでしょう。


返事が無くて当たり前。


姿が無くて当たり前。



でも、息子がいたことは間違いないんです。

愛おしい息子がいたことは間違いないんです。


どんな消え方をしても、私から離れても、息子がいたことは間違いない。


息子、娘を亡くした人が、毎日毎日増えていますが、私達の子供は確かにこの世界に生まれ、私達と楽しく、時には喧嘩もしながら、一緒に生まれ育ったんです。


今は離れても暮らし、直ぐに会えたりはしませんが、間違いなく愛おしい我が子は間違いなくいたんです。


それは、誰よりも誇りにして構わないと思って、今日も生きているんです。


今日も生きて、頑張った。頑張って生きた。