幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

割り切れる日は。

今日は娘の学校説明会に参加し、今は中学の部活送別会に参加してます。



少しずつ、少しずつだけど春に近づき、新しい年度がどうなるか見え始めた。


バスケ部の部長と久しぶりに話した。


部長の長女は知的障害のある20歳。

就労B型に行きながら頑張っている。


障害のある子と、ない子。

うちの息子は障害では無かったけど、ある意味障害だったんだろうか?


『引きこもりは、ある意味、障害になるかな。でも本人は気付いて無かったと思うよ。』


そう部長は言った。

そうかも知れない。


『だけどね。誰も好きでなるんじゃないしね。本人も家族も気付かない内になってるんやけん。骨折や怪我のように目に見えるもんじゃないしね。だから自分を、にいちゃんを責めても仕方ないんよ。自分が割り切れるまで、にいちゃんに死を人に話す必要はないよ。』



自分が割り切れるまで。

いつだろう?にいちゃんの死を割り切れる日は来るのかなぁ。


にいちゃんに似た清涼剤君を見ては溜息。

にいちゃんが通ったであろう、通学路を見ては溜息。空を見ても溜息。


でも、去年よりは泣かないかな。

これが割り切れるってことなんかな?


やはり、日にち薬なんかなぁ。


どうだろうね、にいちゃん。



母さんは抱きしめることが、話すことが出来るならばしたいよ。


どうなんだろうね、にいちゃん。