幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

生きて話しかける

明るく振る舞っているつもりは無いが、泣いて暮らしてばかりはいられない。


無理に笑顔を作ってはいない。息子が亡くなっても、お笑いを見れば笑い、小さい子供が頑張ってる姿を見れば「頑張れ!」と応援しながら涙が何故か流れたり。足を机にぶつけたら痛いし…痛いあとに、「何でや!」って1人イラついたりもする。


生きてたらグルグル感情は回ってしまうんだけど、それが他人からしたら今の私や娘は、落ち込んで暗くしていないと「無理しないで」になるようだ。


無理しないで


無理せず泣いてもいいよ


有難い言葉だ。有難い有難い。のだろうか?

などと、ひねて疑問符をつけてしまう。


私たち遺された者は、可哀想な人かも知れない。こんな経験は要らないから。絶対に要らないから。でも、現実は起こってしまい、家族が消えてしまった。


でも、消えたのは肉体のみ。

思う気持ちは消えていない。肉体を抱きしめ、言葉をかけることは出来ないが、いろんな気持ちは伝えれるはずだ。だから、いろんな気持ちを返事は聴こえなくても話す。


今日も寒いよ


今日は好きな飲み物買ってきたよ


兄ちゃんにお土産買うって、妹は4月の修学旅行を楽しみにしてるって。今から小遣いのオーバー分の隠し場所を悩んでるよ。兄ちゃんみたいに筆箱にするか


今日も周りが心配してくれても、どう思っても生きていくよ。生きるしかないからね。

あなたみたいに、自分で幕引きすることが出来ないから。あなたにどんなに会いたくても。