生きて話しかける
明るく振る舞っているつもりは無いが、泣いて暮らしてばかりはいられない。
無理に笑顔を作ってはいない。息子が亡くなっても、お笑いを見れば笑い、小さい子供が頑張ってる姿を見れば「頑張れ!」と応援しながら涙が何故か流れたり。足を机にぶつけたら痛いし…痛いあとに、「何でや!」って1人イラついたりもする。
生きてたらグルグル感情は回ってしまうんだけど、それが他人からしたら今の私や娘は、落ち込んで暗くしていないと「無理しないで」になるようだ。
無理しないで
無理せず泣いてもいいよ
有難い言葉だ。有難い有難い。のだろうか?
などと、ひねて疑問符をつけてしまう。
私たち遺された者は、可哀想な人かも知れない。こんな経験は要らないから。絶対に要らないから。でも、現実は起こってしまい、家族が消えてしまった。
でも、消えたのは肉体のみ。
思う気持ちは消えていない。肉体を抱きしめ、言葉をかけることは出来ないが、いろんな気持ちは伝えれるはずだ。だから、いろんな気持ちを返事は聴こえなくても話す。
今日も寒いよ
今日は好きな飲み物買ってきたよ
兄ちゃんにお土産買うって、妹は4月の修学旅行を楽しみにしてるって。今から小遣いのオーバー分の隠し場所を悩んでるよ。兄ちゃんみたいに筆箱にするか
今日も周りが心配してくれても、どう思っても生きていくよ。生きるしかないからね。
あなたみたいに、自分で幕引きすることが出来ないから。あなたにどんなに会いたくても。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。