理性を取り戻すために
息子にご飯を供えながら、「熱いから気をつけて食べないかんよ。」と呟く自分がいる。
家に帰れば写真に向かい、「ただいま」と呟く自分がいる。
全て触れることのない、話すことのない息子との毎日。
忘れかければ、葬儀の顔を見る。
納棺前に撮った息子の最期の寝顔。
普通は撮らないだろうが、私と娘は撮った。
見れば直ぐに涙が溢れる。
見ては生きてる自分を戒める。
最近、戒めることばかりだ。
だから理性を取り戻すために息子の写真を眺めている。
2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?
息子にご飯を供えながら、「熱いから気をつけて食べないかんよ。」と呟く自分がいる。
家に帰れば写真に向かい、「ただいま」と呟く自分がいる。
全て触れることのない、話すことのない息子との毎日。
忘れかければ、葬儀の顔を見る。
納棺前に撮った息子の最期の寝顔。
普通は撮らないだろうが、私と娘は撮った。
見れば直ぐに涙が溢れる。
見ては生きてる自分を戒める。
最近、戒めることばかりだ。
だから理性を取り戻すために息子の写真を眺めている。
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