幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

願いはただ1つ。


「今何話しかけてもきれられるし、何か言ったらすぐにWiiUの話されるしいらいらする

お金ないんなら高校行くの辞めてって言ってくれたら諦めるし、死んでって言われたらどうにかこうにかして死のうとするのにさ。」


私はキレてませんが、娘はこう言う風にツイートします。


昨日、「ボーナス出たら買うのを考えるって言ったよね」と言い始め、ゲーム機を買って欲しいと言い出しました。私の原付バイクが信号待ちしていると止まるようになったので、どうにかして買うのを考えないといけないと話した矢先に、私にゲーム機を買って‼︎と言い出す始末。私は「買えば?」と冷たく言いました。

「そんな言い方されたら、いらんしか言えん」と娘は言い、その後はふてくされました。

お金は簡単に稼げるのではなく、一生懸命働いて稼げるんだよ、欲しいからと言って、何でもは買えない、最近何でも買って買ってって言うが、何万もするゲーム機を簡単には買えないし、あんたの入学準備のお金も工面しなければならないと話しました。


もうすぐ15歳になる娘。

息子のツイッターにダイレクトメールしてあり、「私のために必死で働くくらいならば、別に高校も行かないし、死んでくれと言うならば死んであげる。それで母さんが楽しく過ごせるならば」と書いてました。

読んで泣くしか出来ませんでした。


私は午前中仕事に行き、帰ってから直接話しました。私が読むのを分かっていて書いたんだよねと。


娘は、ごめんなさいの一点張り。

私は娘に何をツイートしようが知らぬ顔で来たけど、今回は命を引き換えにしたから許さないと怒りました。


兄ちゃんが死んで半年。命にリセットボタンがなく、絶対に生き帰れないのは誰よりも分かっているはずだと。

ゲーム機を盾にし、買ってくれないならば、私はどうせワガママなんだから死んであげるとはどういうことだと。

子供を亡くすと親がどう苦しむかを間近で見たのに、何故ツイートするのかと。


娘は、兄ちゃんが居たら愚痴れたけれど、兄ちゃんが居ないし友達にも兄ちゃんのことは言えないし、だからツイートしてストレス発散して削除するつもりだったんだと、泣きながら言いました。


でも私は命を引き換えにし、欲しい物を買ってもらうような考えはあり得ないし、子供だから何でも許されることはないと話しました。私と関わりたくないとも、次のツイートにあったので、それならば関わりを無くそうと話しました。娘は首を振りましたが、私は何も返事せず涙を流していました。


私の心の器が小さいのでしょうか。

いや、私の器が…と言うより、私の子育ては間違っていたのでしょう。2人しか産んではいませんが、私が育てると、思うようにならなければ「死んであげる」と頭が働くようです。


死ぬ… 死んであげる…

こんな感じに口にするものではないはずなんですが、あまりにも思春期のせいとはいえ、簡単にツイートする我が子たちに、私の人生を否定された気がします。


話し合いながら、結論は出ていません。今後、娘とどう関わるかは私の中で整理出来ていません。娘は泣き疲れたのか昼寝してます。もうすぐ晩御飯なんだけど…。


でも私は命の大切さを嫌われようが伝えたいと思います。私と縁を切りたいならばそれでもいいんです。ただ、どこに居ようが元気に生きてくれたら。そう願うだけですが、ダメなんですかね?