新しい習慣
娘とネットの話をしていたら、「弟を自殺で亡くした人のブログ見たんよ。」と言い出した。
「その人はね、自分の会社で弟が一緒に働いてたけど、弟さんは辞めたいって相談するんよ。でも、お兄さんやけん、それじゃあダメだよみたいに言ったらさぁ、翌日やったかなぁ、弟さんは自殺してしまって、お兄さんが言うんじゃなかったって、凄く悔やんでてね…」と説明してくれた。
私は、そうなんやねって相槌をうった。
本当は、私も読んでたんだけどね。
「そんなことになるなんて思ってないから、お兄さんからしたら言うた言葉は普通なんよね。」
誰しも、傷つけようなんて言ってない。
ただ、「頑張れ!」「踏ん張れ!」って、応援のメッセージが入ってるだけなんだ。
それが相手を励ますか追い込むかの違い。
相手の取り方次第なんだ。
だから言葉は難しい。あと同じ言葉でも、イントネーションとか、表情とかプラスされる。
意味を読み取るのは文章も同じだ。文字が羅列してるだけだから、読み方次第で印象が変わる。
!マークがあれば強調してることは分かるが、声のように音で感じれないから難しい。
「本当はまだやりたいことはあるけれども!」
息子は、どの強さでメッセージを遺したんだろう。
また、今日も息子のメッセージを読み返してみよう。頭の中が漆黒の闇に包まれ、胸が苦しくなり吐き気がする。だけど、1日1回は息子の苦しみを感じなくては、亡くなった実感がしないから。亡くなった実感を感じないと、自分の中の「悲しい」という感情が狂って、逆に冷静に生きていけない。そんな気がして止まない。
決して自虐ではない。これからも生きて行くための、私の新しい習慣。
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