尊さの意味がない
今、娘は葬式に行ってます。
元姑の実姉が昨日の朝、90才前にして亡くなられた。
娘は式に出なくて良いと元旦那から言われていたが、急遽昨夜メールにて参列通達がきた。
不機嫌極まりない娘。
イライラしながら私に八つ当たりするが、仕方ない。
今朝、8時過ぎに元旦那宅に送った。
ちゃんと式に立ち会うようにと。
娘からしたら、あまりにも関わりがない。
元姑宅から歩いて3分も掛からない場所にて一人暮らしをしていた。独身のため、元姑の実兄宅にて兄嫁と暮らしていたが、晩年は兄嫁は娘と暮らしてたから本当に一人暮らしになっていたようだ。
私が嫁の時代ですら、年に1回会うか会わないかの方だから、娘なんか分からない人。でも血の繋がりはある。だから式に出るのはおかしくない。
が、今娘からラインが来た。
昨夜、通夜葬儀をまとめて執り行ない、すでに遺体は火葬場とのこと。元姑は、クーラーに当たりすぎて体調悪いから欠席。今から火葬場に直行しますと。
元旦那と娘は聞いていた葬儀場に行き、場所が違うと言われ、また違う式場に行ったら、火葬場に行きましたと言われたらしく、火葬場に直行。そのあと直ぐに納骨。
納骨?直ぐに納骨?
昼までに終わりますって何が?
読みながら旦那と「聞いたことないよね。」と話した。
今の旦那が「関係ないけど…バチが当たりそう。可哀想過ぎる。」と。
私もいろいろ葬儀に参列したことがあるが、稀に見る速さ。
これを娘がどう感じるやら。
簡素化は必要かも知れないが、違う気がする。
人が亡くなるのも、生まれてくることも尊いものだと私は思う。
尊い命との、ましてやお別れの式。
肉体が失くなるだけで魂は残るとしても、この世で頑張ってきた肉体との別れは、ここまで簡素化しても良いのだろうか?
帰って来たら、娘と話し合おう。
命の尊さ、人の尊さを。
そう思ってしまった、日曜日の朝です。
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