幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

月誕生日

「昨日、◯◯(唯一息子の死を知る部活の友達)と、明日で兄ちゃんが死んでから1ヶ月なんよって話したら、まだ2週間くらいに感じるって言われて、1ヶ月って早いよねぇ〜って話したんよ。」


朝食の時に娘がこう言った。

確かに、早かったなぁ。1ヶ月。


「今日は兄ちゃんが夢に出てきて」

「どんな夢?」

「兄ちゃん、死んでるんよ。生きてなくてね。でも次の瞬間に生きててさぁ、私、本屋に行ってくる!って手を振って、兄ちゃんも手を振ってくれて、帰ってきたらまた死んでた。なんやねん‼︎って思ってね。むちゃくちゃ変な夢やった」

「兄ちゃん、死んだり生きたりかぁ。で、今日は月命日って言うんやけどね。」

「月命日?」

「何て言うか、死んだ日があるやん。兄ちゃんならば14日やろ。毎月14日をそう呼ぶのよ。でも、母さん月命日って呼び方が好きやないんよね。」

「じゃあ何て呼ぶ?」


「月誕生日!」

「月誕生日⁈ また何で」

「だって、仏様に生まれ変わったんやろ。仏様になった誕生日って感じかなぁと。』

「確かに!でも、そんな言い方して構わんの?」

「別に構わんやろ。わざわざ命日って言わんでも。」

「確かにね。」


私と娘の会話は端から見たら、何て不届きな‼︎死んだ人に対して失礼な‼︎とか言われるかも知れない。


でも供養って、亡くなってからも思い慕う気持ちが大切なんではないかと思います。仏壇が立派とか、お供えが豪華とか、お坊さんにお経をあげてもらうことよりも、毎日、涙したり笑ったり、時には怒ったり(私ならば息子に、何故相談しなかったとか…あまり怒るとあちらで悲しんだらいけないのでほどほどですが。)など、話してやること思い出してやることが大切ではないかと思ってます。


初めての月誕生日ってことで、仏様修行の身かも知れない息子に対して好きな物を供えて、普段よりもたくさん話をしようと思います。

返事をよろしくね

毎日仕事帰りに買い物に行くので、ゆっくり店内を見て回ることがなかったんですが、今日は休みなんでじっくり見て回ったら、新商品のお菓子がたくさんありました。


それも、息子が「また面白いもんを見つけたなぁ」と笑ってくれそうな物ばかり。


思わず手にとり、旦那に「兄ちゃん、笑うよね。また見つけたんって」と、自然と話しかけていました。


死んだ息子にではなく、生きてる息子に買うような口振りで…。


まだ実感がないのかなぁ、私。


認めたくないのかなぁ、私。


でも、もうすぐ月命日がくる。街ではバレンタインって騒いでいる日が月命日。


去年、兄ちゃんにあげたか忘れちゃった。

あげたっけ、母さん。

多分、娘は兄ちゃんにあげてるはず。


今年は忘れないようにあげなきゃね。

それよりも、いつもみたいに面白い新商品にしようか?


兄ちゃん、気が向いたら夢で答えてやね。

何気なく思う

今朝は娘を練習試合に連れて行きました。

私と娘は平日は別々に暮らしています。

はたから見たら「複雑な家庭」です。

でも私と娘からしたら普通ですが。


普通

普通とはなんでしょう。


当たり前

当たり前とはなんでしょう。


幸せ

幸せとはなんでしょう。


誰が基準を決めるのでしょうか。前に書いた息子の名言(私の中では…)のように、自分の常識、他人の非常識だと思ってしまうことがあります。


息子が亡くなってから、かなり卑屈になることがあります。頑張って生きてますが、ひねくれた考えがよぎります。悲しい現実ですが…。



自分の価値観で、あの人が羨ましいとか、妬ましいとか、自分の方がマシとか、あんなにはなりたくないとか思わないで欲しい。


何故ならば、みんな何かしらの苦しみを持って生きてます。喜びを見つけて生きてます。


私みたいに息子を自死で亡くす人もいます。


頑張りにくくても、頑張ろうとしています。


だから比べないで下さいね。