「昨日、◯◯(唯一息子の死を知る部活の友達)と、明日で兄ちゃんが死んでから1ヶ月なんよって話したら、まだ2週間くらいに感じるって言われて、1ヶ月って早いよねぇ〜って話したんよ。」
朝食の時に娘がこう言った。
確かに、早かったなぁ。1ヶ月。
「今日は兄ちゃんが夢に出てきて」
「どんな夢?」
「兄ちゃん、死んでるんよ。生きてなくてね。でも次の瞬間に生きててさぁ、私、本屋に行ってくる!って手を振って、兄ちゃんも手を振ってくれて、帰ってきたらまた死んでた。なんやねん‼︎って思ってね。むちゃくちゃ変な夢やった」
「兄ちゃん、死んだり生きたりかぁ。で、今日は月命日って言うんやけどね。」
「月命日?」
「何て言うか、死んだ日があるやん。兄ちゃんならば14日やろ。毎月14日をそう呼ぶのよ。でも、母さん月命日って呼び方が好きやないんよね。」
「じゃあ何て呼ぶ?」
「月誕生日!」
「月誕生日⁈ また何で」
「だって、仏様に生まれ変わったんやろ。仏様になった誕生日って感じかなぁと。』
「確かに!でも、そんな言い方して構わんの?」
「別に構わんやろ。わざわざ命日って言わんでも。」
「確かにね。」
私と娘の会話は端から見たら、何て不届きな‼︎死んだ人に対して失礼な‼︎とか言われるかも知れない。
でも供養って、亡くなってからも思い慕う気持ちが大切なんではないかと思います。仏壇が立派とか、お供えが豪華とか、お坊さんにお経をあげてもらうことよりも、毎日、涙したり笑ったり、時には怒ったり(私ならば息子に、何故相談しなかったとか…あまり怒るとあちらで悲しんだらいけないのでほどほどですが。)など、話してやること思い出してやることが大切ではないかと思ってます。
初めての月誕生日ってことで、仏様修行の身かも知れない息子に対して好きな物を供えて、普段よりもたくさん話をしようと思います。