仕事の途中に空を見ては、雲の流れや形が変わる様子をただボーっとする。
木々の緑の色合いをボーっと見る…見つめる。
バイクを走らせながら、ボーっと車や歩く人や建物などもボーっと見る。
ボーっとすることなんて、ボーっと見つめることなんて、息子が亡くなるまで無かった。
毎日毎日、時間に追われてた。
今も毎日毎日追われてるんだけど、やはり違う。
「本当に大切な人を亡くす」と言うことは。
母が亡くなった時もあった。小さな我が子を育てながらの仕事。がむしゃらに悲しみを消すように時間に追われるように動いた。生きていた。気付けば悲しみも癒され、笑うことが増えた。悲しみも母も忘れた訳ではないが、少しずつ癒された。
でも、今回は違うのかなぁ。時間が解決しないかなぁ。いや、やっぱり解決するかなぁ。
まだ1か月半だから今は分からない。
1年、2年、5年、10年?何年だろう。
母の時は言葉しか残してもらってないから記憶が曖昧になるが、息子はツイートしてるからいつでも見れる。書いた息子がいないから本心が分からないから、文字が直球。見るたびに直球が真ん中を貫く。
貫かれるから、ボーっとするのかも。
ハッとすべきなのに、グサッと刺さるのにボーっとする。
今日も時間に追われるが、またボーっとするかなぁ。