幸せに輝け

2016.1.14(木曜)愛する息子は『親の意向だから』と言って自死を選びました。
生きるとはなんなんでしょうか?

冷静になれと思いながらも

実家の木を切りに旦那と行った。


かなり伸びた枝を切りながら、木々の成長と自分が子供の頃に見上げた木に懐かしさを覚えながら。


かなり認知の父との時間が、ちょっとしんどくなりかけた時、実家の隣に住む同級生が出てきた。


「ねぇ、お兄ちゃんはなんかあったの?」

「何もないけどなんで?」

「お父さんがさぁ、」

「なんか言うた?父さんがなんて?」

「なんもないなら別にいいんよ。」

「なんもないし。てか、父さんは認知が入りよるから気にしないで。」

「そんなことないやろ。」

「そんなことあるから。だから迷惑かけたらゴメンね。」

「大丈夫よ😊」


父に聞いた。

「あのさぁ、隣の同級生に何を言うた?」

「えっ?なんも言うてないよ。」

「幸輝のことよ」

「あぁ、幸輝は死んだ言うた。」


「あのさぁ。私とあの子は小中学の同級生やけど、全く友達ではないし。なんか馴れ馴れしく話しかけてくるがな、とにかく友達じゃないから幸輝のことは二度と言うな。誰にも言うな💢」


たまたま結婚して実家の隣に住んだだけの同級生が、あたかも私と仲良しのように話すだけでも会うたびに腹が立っていたのに、まさか今日息子のことを言われた。私の度量がないせいだが、無性に父にも同級生にも腹が立って仕方なかった。


息子の死を恥ずかしいと思うわけではない。

息子が選んだ道だから仕方ないと思っている。

だが、ありふれた亡くなり方ではない。


そう、ありふれた死に方ではないから人の噂話に軽々しく上がってしまうのだ。

それも今回の隣の同級生なんかにしたら「私はこんなことを知ってるよ」的に扱われる。

私に「◯◯を覚えてる?あの子、離婚して実家にいるよ。」と話してきた。◯◯は、お前の友達であり私の友達でもなんでもない単なる同級生。そんな程度の話をするやつだから幸輝の話はしたくないし、されたくもない。


イライラした。

本当に父に腹が立った。

認知症の父にイラついてもいけないと思いながらも本気で腹が立った。


こうなると自分の人生を今更ながら恨みたい気持ちに落ちる。イライラしすぎると、最近消えたくなる。また踏ん張れ、踏ん張るんだと言いながら、消えたくなる。矛盾が始まる。頭が割れそうだ。